私の祖母
今日は、少しお酒が入ってぼ~っとしています、、、
酔っ払うと少し、涙もろくなり、思い出すことが、必ずあります。
それは、私の祖母です。。。四年ほど前に、交通事故で、亡くなった祖母です。
祖母は、大分県佐伯市の大入島に住んでいました。子供の頃
夏休みに子供だけで、何泊も泊り、大自然の中で、野生児のように
遊びまくった思い出があります。
私たちをリヤカーに乗せ、少し離れた海水浴場まで連れて行ってくれたり、
あの時の光景が今でも頭から離れません
田舎での思い出は、祖母なしでは、語れないくらいです。
昔は、土間で、お風呂は、五右衛門風呂でした。家の中だと言うのに、
ツバメの巣があったり、祖母が、釜戸で作ってくれるいももちは、忘れられない
味です。。。。。朝、目が覚めるともう、祖母の姿は、ありません、
早くに畑に行くからです。朝ごはんの前に一仕事するのです。。。。
朝、5時頃から、起きているにも関わらず、私たちの面倒まで、見てくれる
それは、それは、働き者の祖母でした。。。。沢山の思い出を
くれた祖母でした。。。大きくなり、私たちの運動会には、赤飯、煮物、畑で、取れた
野菜やら、背中、両手一杯、持ちきれないほど、持って、汽車に乗り、
やって来てくれる祖母でした。
そんな祖母も段々と年をとり、耳も遠くなってしまい、会話するのにも
隣の家の人に話してるの?という位大きな声で話さないと聞こえない様に
なってしまい、それでも、聞こえない会話の中でも皆が笑いながら話していると
にこにこしている祖母でした。
私が結婚するときもお祝いとは、別にコートを買ってくれました。
私に子供が産まれた時も赤飯を炊いて、やっぱり、両手一杯にお土産を
かかえてきた祖母でした。
私は、時々、祖母に手紙を書きました。感謝の気持ちを込めて、、
気持ちだけは、伝えておきたかったから、、、、、
お別れは、突然やってきました。
訃報を知らされ、夜、10時過ぎ、車で、東京から、大分へ、
22時間、夜の、間は、ほとんど泣いていたような気がします。
パパが、ずっとほとんど運転してくれました。
私が着いたときには、もう、お棺の中でした。
打ったのでしょう、顔に内出血の跡がありました。
触れたら、とても、冷たくて、氷に触れているようでした。
幾ら、手のひらの体温で暖めようとしても、無理でした。
受け入れられない、現実でした。一晩中起きていました。
2階に上がって横になっていたら、兄の泣き叫ぶ声が聞こえました。
私も、涙を止めることが出来ませんでした。。。。
まだ、まだ、元気だったのに、、、、別れの言葉も感謝の気持ちも
伝えることは、許されませんでした。。。。。。
私が、生きて、祖母に感謝の気持ちを表すとしたら、子供たちを
立派に成長させて、祖母にしてもらったように沢山の思い出を作り
沢山の愛情を注ぐこと、、、そうする事で、私は、救われるような気が
します。。。。つらいとき、つぶやきます。「ばあちゃん、、、、見守っていてね、
私、頑張るからね」、と言っても私の辛いって、ありほどしかないのですけどね、、
怖い話かも知れませんが、疲れて寝ているときにす~っとなぜられる感触が
ある時があるんです。。。。そんな時「あ~、ばあちゃんが私にがんばれ~」
と言ってくれてるんだと思って元気になれるんです、、、、
ばあちゃん、、、有難うね、、、ばあちゃん、、、本当に有難う、、、
皆さんも、日々、当たり前のように、そばにいる人に、明日は、言ってみましょう、
ありがとう、、、いつも、ありがとう、、、世界中の人が、優しい気持ちで
いられるよう、、、ありがとう、、とても、大切な言葉ですね、、
おやすみなさい、、、、、、
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